幕府禁教令後のキリシタン墓地、破壊されず残る(YOMIURI ONLINEから引用)

日本はユーラシア大陸の東の果ての島。イスラエルからの渡来人も先祖。その後景教徒も渡来し、日本建国に影響を与えた。
ローマ化した西洋キリスト教ではなく、原キリスト教の教えが日本人に根底にはある。西洋から見れば異端なので不気味なのか。

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長崎市多以良町の垣内集落に現存する江戸時代のキリシタン墓地は幕府が禁教令を出した後に造られた可能性が高いことが分かった。

 長崎歴史文化博物館の大石一久さん(59)が会長を務める「外海キリシタン研究会」が23日、発表した。禁教令後のキリシタン墓地が破壊されずに残っているのが確認されたのは初めてという。

 墓地は約120平方メートル。石を長方形に並べた「長墓」と呼ばれる墓碑64基が40〜50センチ間隔で並んでいた。その一部は複数の石の上に1枚の長方形の石を置く江戸時代初期のキリシタンの墓の特徴を有しているという。

 長崎を治めていた大村藩は、幕府の禁教令を受けてキリシタン墓地を破壊し、仏教式の墓所に改めさせていたが、垣内集落一帯は佐賀藩の飛び地。大石さんは「周囲に比べ弾圧が厳しくなく、見逃されたのでは」と推測する。

(2011年12月23日21時51分 読売新聞)
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