日本の政官関係の苦境--官僚と再び対決(人民網日本版から引用)

中国は、よく日本を研究している。

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日本では現在、国家公務員削減問題が元々敏感な政官関係を刺激している。(文:張勇・中国社会科学院日本研究所中日関係研究センター秘書長)

 日本政府は国家公務員の採用人数を削減する方向で最終調整に入った。岡田克也副首相、川端達夫総務相は来年度採用を政権交代前の09年度比で6潤オ7割程度減らすよう相次いで指示した。

 政権中枢の示したこの案は各省庁から疑問の声が上がり、調整作業はいったん膠着状態に陥った。各省庁は、衆議院議員定数削減がまだ目処も立たない中、給与7.8%削減に続く事実上の国家公務員いじめであり、採用人数の大幅削減は「組織の年齢構成の歪み」と「必要な業務を行えない事態」を招くとしている。

 実は公務員の削減は問題の表象に過ぎない。野田政権は日本式の政官関係の幾重もの障害を突破する道を見出そうとしている。だが政界で言われるように、政治家を揺さぶるのは簡単だが、官僚を動かすのは難しい。

 現代の西側の民主政治プロセスを動かしている力は主に2つある。1つは政党政治家。彼らは議会制民主主義の下で政治の実際の主導者だ。もう1つは官僚、つまり国家公務員。彼らは国の政策の形成と執行の主体だ。西側民主政治はこの2つの政治力の抑制均衡によって安定的に運営されている。国の政策決定のメカニズムと過程においても、主にこの2つの力が大きな役割を果たしている。両者間の「力」の関係および役割の程度は国によって多々異なる。戦後の日本政治では一貫して政党と官僚が政策決定の最も重要な主体だった。

 両者のどちらが主導権を握るかという問題については、政界と学界で見解は様々だ。
1945年の敗戦から1955年の「55年体制」形成までの10年間、日本社会にとって発展のテーマは民主改革と戦後の経済再建だった。この時期は政策形成において官僚が優勢に立ち、主に保守政党に対して強い浸透力を持った。

 55年体制の確立から高度経済成長が一段落した70年代中頃までは、これまでに形成された官僚主導の政策の伝統と、経済復興と現代化の再推進が内在的に官僚を必要としたことから、国の政治・経済における官僚の主導的地位はまだぐらつかなかった。また、保守合同で形成された自民党は一党のみで巨大化し、戦後政党政治の安定構造を構築した。だがまだ歴史が浅く、社会的基盤も弱いために、依然として官僚に大きく依存し、政治、経済、社会の発展を独自に主導する能力はまだ備えていなかった。一方で、経済成長が全面的に進むにつれて、官僚が全面的に主導する体制も困難に直面することが多くなった。

 70年代中頃から日本の経済成長は減速し、中成長期を迎えた。現実の経済状況は、社会に対する官僚の作用と影響力を不可避的に弱めた。一方で、与党の社会各階層に対する利益誘導メカニズムと政策決定能力は強化され続けた。

 90年代中頃以降、政策決定システムにおける政官関係の「政高官低」への変化は一段と加速。こうした時代背景の下、政策決定システムは伝統的な「ボトムアップ」方式から、「トップダウン」「権力集中」「官僚叩き」など戦後モデルを変える方向へ向かった。

 日本の政策決定は通常ボトムアップ式だ。つまり多くの政策は下から意見を集め、調整と協議を重ねた後に最終的に決定される。対象範囲の比較的狭い政策の法案については課長または課長補佐が先頭に立ち、政策に詳しい課員が共同で起草する。完成した法案は局の幹部による審議にまわされ、承認後は主管局長・幹部会議による審議にまわされ、主管課長が説明を行い、最後に関係省庁の大臣または長官によって採決される。裁決後は内閣法制局、与党の政策決定機関、閣議で順次審議し、政府法案として国会審議にまわされる。

 このような政策決定システムの下、最高政策決定者は通常トップダウンで政策決定課題を打ち出し、その決定と実施を推し進めるのではなく、ボトムアップで上げられてきた政策決定案を承認する形を取る。
民主党は09年のマニフェストで、自民党政権時代の数々の弊害や解決できない問題を明らかにしたうえで、政府と与党の権力二元体制を変え、内閣の下でのトップダウン式の政策決定体制を実現すると国民に約束した。

 鳩山政権時、民主党上層部はこのために専門の制度設計を行い、三大改革を実施した。第1に政府と与党の関係において重大な外交政策の「決定の一元化」を強く主張し、与党の中心的幹部が閣僚に就任した。第2に政府内の首相官邸と省庁の関係において「政治主導」「首相主導」「官邸主導」を強く主張した。第3に事務次官会議を廃止するとともに、省庁内の政策決定について政務三役会議によるトップダウンモデルの実現を強く主張した。

 菅直人前首相は前任の鳩山元首相の打ち出した「省庁縦割りの省の利益から、官邸主導の国益へ」との重要原則を踏襲し、具体的政策として「官邸機能の強化」や首相直属の「国家戦略局」の設置を進めた。だが具体的な政策のレベルでは、官僚との調整を重視した。

 現在の野田佳彦首相は「政治主導」の中身の位置づけを見直そうとしている。野田首相民主党政権発足後、政務三役(大臣、副大臣政務官)が各省庁でリーダーシップを破棄する制度は確立できたが、政官の主導権争いは成果を上げていないと考えている。専門家集団である官僚組織の能動性を効果的に引き出せなければ、政策決定に必要な情報や選択肢を集めることは難しい。具体的には、重要な政策は政治家が決定し、権限を授けるべきものについては権限を授けるという明確な役割区分を試みている。民主党内でも法案の事前審査制度を再導入しており、事務次官会議の再開も下準備が進められている。

 民主党自民党の政策決定方式について「権力の流失を放任するもの」と批判してきたが、上述の動きは、民主党政権が「政治主導」の枠組みの中で相当程度自民党時代の政策決定方式に戻っていることを紛れもなく示している。また、政権獲得から4年足らずで鳩山由紀夫菅直人野田佳彦と3人の首相を送り出し、自民党政権末期の「1年ごとに首相が交代する」悪循環に自らも陥っている。

 客観的に言って、各省庁の公務員には優秀な専門人材が多くいる。彼らは情報収集、政策決定・執行能力を兼ね備えている。また、高度の専門性と政策の連続性の面において、頻繁に交代する首相とその内閣には代役が務まらず、また変えることもできない安定性を備えており、日本政治の「リモコン」、日本社会の「安定弁」とも形容される。今後、野田内閣が官僚の政策決定権を弱めることと、官僚の専門知識・能力を活用することとのバランスを掌握し、最終的に従わせ、さらには官僚との調和のとれた共存を実現できるかどうかは、なお観察を要する。(文:張勇・中国社会科学院日本研究所中日関係研究センター秘書長)(編集NA)

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 「人民網日本語版」2012年3月30日
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